仕事のこと - 稲浦悠馬 Yuma Inaura

プログラミングや、仕事の仕方。

防災訓練と苦笑い

朝、スタジオに入る直前。

「24階で火災発生したため、誘導員の指示に従って、非常階段で1階まで降りてください」というアナウンス。


「24階なら、階数的にエレベーターでも大丈夫じゃないか?」と思って9階まで下りると、他の人たちは、普通にエレベーターを上っていく。

これは連絡系統が行き届いてないのか?

それとも、もう収束したのか?

警備員さんに「皆、上っていきますけど大丈夫ですか?」と聞いてみると、「ああ、防災訓練です」とかなりの苦笑いが返ってきた。


防災訓練って難しい。

これって訓練として機能しているんだろうか?

それとも聞き逃しただけで、アナウンスの最初に「防災訓練です」とか付いてたんだろうか。

 


関係あるかどうか分からないけど、そういえば、防災スクラムっていう看板が立てられてたっけ。

 

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プログラマに必要なのは美的感覚だ

偉大なプログラマは、コードに対して美的感覚を持っているという。

 

美しいコードとは何か?

 

それを言葉で定義しようとしても、たぶん無駄だ。

言語表現しようとすると、あまりに情報量が膨大になり、語り尽くせない。

そもそも、言語表現が難しい部分を委ねるものこそが、美的感覚なのだから。
それを瑣末に定義しようとするのは本末転倒だと言える。

 

そういえば、昔のことを思い出した。

 

僕が

shebangbash じゃなくて sh を使うのには、何か理由があるんですか?」

と聞いたとき

bashshebang が美しくないから」というようなことを答えた先達がいる。

 

彼もまた、美的感覚を持ったプログラマだ。

 

 

(ところで自分といえば、まだ山の麓で遊んでいるだけ。上の方にはどんな景色が見えるんだろう)

仕事中に疲れ果てた時、5分間の瞑想をすると、絶大な効果がある。

仕事が忙しい日の午後に、たまに訪れる、どうしようもない疲労。

体が動かなくレベルの。

 

それは空腹のせいでもなく、眠気のせいでもなく、決して対策が取れないわけではなく、脳のせいなんだなということを、最近理解した。

 

たった五分間で良い。

これに気づず、人生損していたレベルだ。

人に分かりやすい文章を書くことで、自分の考えも整理することが出来る。 (テキストでダックタイピング)

なので直感とは逆に、多くの場合、決して追加コストがかかっているわけではない。

むしろ最終コストをぐっと抑えてくれる気がする。


メリット

  • 自分の考えが整理できる
  • 自分のやり方が間違っていれば、文章を書いている間に気づくことが出来る
  • いつまでも同じコストがかかるわけではなく、文章での伝え方もどんどん上手になってゆく
  • なおかつ他の人にも優しく、周りにかけるコストを減らすことができる

 

たとえば 

  • gitのコミットメッセージを書く時
  • GithubでDescriptionを書く時
  • チャットツールで連絡を取る時

すべてが練習になる。

Github上でのレビューはコード理解の入り口にすぎない

今まで「Github上だけでレビューが完結するのが理想」という意識がどこかにあったけど、あくまでGithub上でのレビューは、全体の確認というか、参考程度にとどめた方が良いのかもしれない。

(もちろんモノによるが)

 

「レビューを繰り返すうちに、Github上でのレビュー力も、いつか上がってくるはず」と思っていたけれど、なんだか違う気がしてきた。

 

それよりは手元のエディタでコードを読んだり、動かしたり、他の人に質問したり、図を描いたり、理解のボトルネックを見つけたり、調べ物をすること。

そういうもの全般がレビュー力につながっていくんじゃないだろうか。

 

特にコードというものは色々な手をつくして、色んな武器を使って理解を進める必要がある。