プログラマに必要なのは美的感覚だ
偉大なプログラマは、コードに対して美的感覚を持っているという。
美しいコードとは何か?
それを言葉で定義しようとしても、たぶん無駄だ。
言語表現しようとすると、あまりに情報量が膨大になり、語り尽くせない。
そもそも、言語表現が難しい部分を委ねるものこそが、美的感覚なのだから。
それを瑣末に定義しようとするのは本末転倒だと言える。
そういえば、昔のことを思い出した。
僕が
「shebang に bash じゃなくて sh を使うのには、何か理由があるんですか?」
と聞いたとき
「bash の shebang が美しくないから」というようなことを答えた先達がいる。
彼もまた、美的感覚を持ったプログラマだ。
(ところで自分といえば、まだ山の麓で遊んでいるだけ。上の方にはどんな景色が見えるんだろう)